租税教室と南アフリカで考えたこと
先日、とある小学校の租税教室に参加しました。
租税教室とは、税理士などが小中学校などに出向き、税金について授業を行う取り組みです。私は税理士会の租税教育推進部という部会に所属しており、その活動の一環として、小学校で税金について話す機会をいただきました。
小学校向けの租税教室では、主に次のようなテーマを扱います。
- 税金がなかったらどうなるのか。
- 税金はどのように集めるべきなのか。
- 税金はどのように使うべきなのか。
授業時間は1時間弱ですが、これらは本来、とても大きなテーマです。
特に「税金をどう使うべきか」という話は、民主主義そのものに関わる重要な問題だと思います。ただ、これはあまりにも大きなテーマなので、また別の記事で考えてみたいと思います。
今回は、その前段階として、「税金がなかったらどうなるのか」と「税金をどう集めるべきか」について、南アフリカでの生活経験も踏まえて感じたことを書いてみます。

税金がなかったらどうなるのか
小学校6年生くらいになると、「税金がなかったらどうなるか」という問いに対して、多くの児童がしっかり答えることができます。
- 道路が使えなくなる。
- 警察や消防が十分に機能しなくなる。
- 医療を必要な人が受けられなくなる。
- 公立学校の質が下がる。
授業では、このような小学生にも身近な例を使いながら、税金の役割を考えていきます。
日本で生活していると、道路や警察は基本的に無料で利用できるものです。医療も国民皆保険のもとで、比較的少ない自己負担で受けることができます。公立学校の教育水準も、義務教育としてはかなり高い水準にあると思います。
そのため、日本で育った小学生にとって、「税金がなかったらどうなるか」という問いは、実はかなり想像しづらいものかもしれません。
日本では、公共サービスがある程度きちんと機能していることが、あまりにも当たり前になっているからです。
そして、その当たり前の中で考えると、
「税金がなかったら困る」
という結論に自然につながります。
もちろん、それは正しいと思います。
ただ、南アフリカで生活していると、この問いの見え方が少し変わってきます。

南アフリカで見る「税金がなかったらどうなるか」
南アフリカで生活していると、日本ではあまり意識しないような公共サービスの不十分さを感じる場面があります。
道路には場所によって穴が多く、車で走るときに注意が必要です。警察も、日本の感覚からすると必ずしも十分に機能しているとはいえない場面があります。汚職の問題もあります。
医療についても、公的な医療サービスより、民間の医療保険や民間病院の役割が非常に大きいと感じます。教育についても、公立学校の水準は地域によって大きな差があり、経済的に余裕のある家庭の子どもは私立学校に通うことが一般的です。
この部分だけを見ると、公共サービスが十分に機能していない社会は、やはり「よくない」と感じます。
しかし、話はそれほど単純ではありません。
南アフリカでも、都市部の整備された地域では道路の状態が比較的良い場所もあります。住宅地は高い塀や電気柵で守られており、警察に頼る前に自分たちで安全を確保する仕組みがあります。民間医療保険に入れば、十分な医療を受けることができます。経済的に余裕のある家庭の子どもは、質の高い私立学校に通っています。
つまり、一定以上のお金がある人にとっては、公共サービスが不十分であっても、民間サービスによってかなりの部分を補うことができてしまいます。
場合によっては、税金を多く払って公共サービスを維持するよりも、自分たちだけで民間サービスを利用した方が安上がりだと考える人もいるかもしれません。
ここに、税金の難しさがあります。

税金をどう集めるべきか
日本では、比較的公平な社会が成り立っていると感じます。
もちろん、日本にも格差はあります。生活が苦しい人もいますし、すべての人が同じ条件で暮らしているわけではありません。
それでも、国民全体の感覚としては、道路、警察、医療、教育といった公共サービスは社会全体で支えるべきものだという理解が広く共有されているように思います。
だからこそ、税金についても、能力に応じて負担するという考え方、いわゆる応能負担の考え方が受け入れられやすいのだと思います。
また、消費税のように広く薄く負担する税金についても、社会全体を支えるための仕組みとして議論されます。
租税教室でも、最終的には、税金は助け合いの仕組みであり、私たち一人ひとりが民主主義社会の一員として考え、議論していくことが大切だ、という話につながっていきます。
ただし、これは「税金がなければ困る」という前提が、ある程度共有されている社会だからこそ成り立つ議論でもあります。
では、その前提はどこから来るのでしょうか。
私は、その根底には、社会がある程度公平であることがあるのではないかと思います。

格差が大きすぎる社会では何が起きるのか
南アフリカは、世界でも特に所得格差が大きい国として知られています。
格差が非常に大きい社会では、富める人々と貧しい人々の生活が、ほとんど別の社会のように分かれてしまいます。
富める人々は、安全な住宅地に住み、民間の医療保険に入り、子どもを私立学校に通わせることができます。
一方で、貧しい人々は、十分な教育や医療、安全を得ることが難しい環境に置かれます。
このような社会では、富める人々にとっては、税金を通じて社会全体を支えるよりも、自分たちだけで安全や教育や医療を確保した方が合理的に見えてしまうことがあります。
つまり、富める者だけで小さな社会を作るインセンティブが生まれてしまうのです。
一方で、貧しい人々にも当然、人生があります。家族があり、生活があり、社会があります。国は富める人々だけのものではありません。
そのため、格差が大きい社会で公平さを考えようとすると、どうしても富める人々から多く集め、貧しい人々に再分配するという方向に向かいます。
しかし、富める人々からすれば、「なぜ自分たちだけが負担しなければならないのか」という感覚も出てきます。その結果、資産や人材が国外に流出することもあります。
南アフリカでは、アパルトヘイト終了後の約30年の間に、富裕層や専門職の海外流出が続いてきたといわれます。もちろん、その理由は税金だけではありません。治安、教育、雇用、政治、将来への不安など、さまざまな要因があります。
ただ、格差が大きい社会では、税金を通じて社会全体を支えるという仕組み自体が、非常に難しくなるのだと思います。
そして教育が十分に行き届かなければ、貧困は次の世代にも引き継がれてしまいます。負の連鎖が続いてしまうのです。

税金は「公平な社会」を維持するためのものでもある
租税教室では、税金がなかったら困る、だから税金は大切だ、という説明をします。
それはもちろん正しいです。
ただ、南アフリカでの生活を通して考えると、もう少し深い問題があるように感じます。
税金が必要だという考え方は、実は、ある程度公平な社会があって初めて共有されやすいものなのではないか。
格差が大きくなりすぎると、富める人々は自分たちだけで生活を守ろうとし、貧しい人々は公共サービスに頼らざるを得なくなります。そうなると、社会全体で税金を負担し、社会全体で公共サービスを維持するという発想が弱くなってしまいます。
つまり、税金は単に道路や学校や警察を作るためのお金ではありません。
ある程度公平な社会を維持するための仕組みでもあるのだと思います。
そして、ある程度公平な社会があるからこそ、税金が必要だという考え方も共有されます。
税金が公平な社会を支え、
公平な社会が税金への理解を支える。
この循環が壊れてしまうと、社会全体を支える仕組みは急速に弱くなってしまうのかもしれません。
南アフリカでの生活は、日本の当たり前を見直すきっかけになります。
日本では、道路が整備され、警察が機能し、医療を受けられ、公立学校で一定水準の教育を受けることができます。これらはあまりにも当たり前に見えますが、決して自然に存在しているものではありません。
租税教室での小学生への税金の話を通し、私自身も改めて考えました。
税金は、単に取られるものではありません。
社会を維持するための仕組みです。
そして、社会が分断されすぎないようにするための仕組みでもあります。
税金をどう集め、どう使うか。
これは小学生向けの授業で扱うテーマでありながら、大人にとっても、そして国のあり方を考えるうえでも、とても大きな問いだと思います。

